聖山に祈る(4)

 

 

祈り

修道院では毎日夜明け前に3時間、夕方に2時間祈りの儀式(奉神礼)が聖堂で行われています。

蝋燭とオイルランプの灯りによって金地のイコンが照らされる中で聖句と聖歌が交互に詠まれ、鈴の音のする香炉の煙によって堂内が清められます。無伴奏(アカペラ)で歌われる聖歌は中東の旋律に似て、とても神秘的に聞こえてきます。

聖堂は特別なエネルギーに包まれていて、宗教の枠を超えた荘厳な空気を体感することができました。

 

 

聖山に祈る(3)

 

 

朝夕の祈りの時間に続き、修道士と巡礼者はともにトラペザと呼ばれる食堂で食事をします。修道院の畑で収穫された野菜や果物を中心にワインなども添えられます。

食事の時間には係の修道士が聖句を朗読します。聖句は魂の栄養になります。

 

 

聖山に祈る(2)

 

 

聖母の園

伝説によると、聖母マリアはキプロスに住んでいた伝道者ラザロの「死ぬ前に一度会いたい」という求めに応じて、エルサレムから船出をしましたが、エーゲ海に出たところで嵐に遭遇し、漂着した所がアトス半島でした。

その時、<この地を御身の園そして楽園に。救いをもとめる者たちの港とされよ>と主イエスの声を聞き、上陸されたといいます。

ギリシア東北部にあるアトス半島は、共和国内にありながら正教会の修道院による自治が認められていて、この領域に「入国」するためには許可書が必要です。訪問することができるのは男性に限られ、舟に乗って「入山」します。そして許可された滞在期間に各々の巡礼のための時間を過ごします。

ここには深い静寂があるといわれます。祈りと観想によって神の光につつまれ、神と一つになろうとする静寂主義(ヘシュカスム)の伝統が今も息づいています。

 

 

聖山に祈る

 

 

巡礼のためにギリシャを訪ねました。聖山アトスをいただく半島には大小の修道院が点在しています。

巡礼者はそこに宿を借り、修道士とともに祈りの儀式に加わります。そしてその中で授かった恵みをそれぞれの国に持ち帰り、皆と分かち合うのです。

この聖域では1000年もの間変わることなく、この営みが続けられてきました。

 

 

節分

 

 

旧暦では新しい月の始まりを「節入り」と言うのだそうです。旧暦の1月1日が新暦の2月の初めになることから、この前後を節分、立春と呼ぶようになったということを聞きました。

節分には煎った豆をまいて鬼を追い払う行事が行われていますが、天地のあらゆるものの中に神を見出して大切に思う日本古来の信仰のあり方からすると、ひとつのものだけを排除する考え方は馴染まないように思います。

吉凶をともに受け容れて、新しい年を迎えることのできることに感謝をしたいと思います。

 

 

冬の日

 

 

庭の片隅で蝋梅(ろうばい)がひっそりと花を咲かせています。

そばに寄ると芳香を放っているのがわかりますが、特別に自己主張をすることもなく、身の程をよくわきまえていて、その慎ましく謙虚な佇まいはおおいに見習うところがあります。

 

 

 

だれでも高ぶる者は低くされ、
へりくだる者は高められる。

– ルカによる福音書18-14 –

 

 

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