サンクチュアリ

 

 

 

恵比寿天と大国天の絵を制作することになり、所縁の土地を訪ねました。恵比寿天は事代主神、大黒天は大国主神と考えられていますので、それぞれの神様をお祀りする神社に奉拝してまいりました。

出雲地方は記紀神話や国津神と縁が深く、伊勢地方の空気とはまた違った印象を受けますが、長い歴史を通して守られてきた聖域に入ると、身も心も清められ、新しく生まれ変わるような気持になります。

この度いただいた有り難きご縁に感謝の意を伝え、無事の完成を祈念させていただきました。

 

 

 

新しい年に

 

 

 

家族の健康と幸せを祈る、国家の安寧を祈る、世界の平和を祈る。
多くの人びとが日々、より良い世界を願っています。

その願いは目には見えないかもしれませんが、この惑星を優しく包んでいるのではないかと思っています。

祈りとは、人間が表現しうる最高・最上の形ではないでしょうか。何事にもそのような心を忘れないように過ごしていきたいと思います。

 

創造的エネルギーに触れながら自然の中を一歩一歩歩く時、
全身が深い感謝の気持ちに包まれる。

その感謝が結晶化したものが、祈り。

本当の祈りは、個人の願望でも要求を訴えるものでもなく、
ただ感謝の中で輝く宝石のようなもの。

-森井 啓二 「祈りの本質」-

 

 

 

自然とともに

 

 

 

この頃は郊外でも都市部と同じような人工的な環境となって、自然を身近に感じることが難しくなってきました。人は自然の一部であるということが忘れられてしまいそうです。

大地を耕す人、海や山からの恵みを受ける人、厳しい環境のなかに身をおいて生きる人、自然を畏れ、自分の弱さをよく知る人びとに共通する資質はとても謙虚な姿勢です。そのような人々の生きた縄文時代は、争いのない平和な社会が一万年も続いたといわれています。

平和な世界は、一人ひとりの心から、自然とともに生きる姿勢から生まれるのではないかと思います。

 

 

 

高野山

 

 

言い伝えによると、空海が唐より帰朝して密教の教えを広めるための根本道場を建立する際に、適地を探すために空に向かって放った三鈷杵が、紫雲に乗って降り立った場所が高野山であったとされていて、その三鈷杵が掛けられていたという松は植え替えられながら今でも残っています。

人体には気の流れる通り道(経絡)があり、そこには経穴というポイントがあることはよく知られています。同じように、地球の表面にはエネルギーの流れる道が縦横に走っていて、それらが交差したり、または地表から湧出する場所にはエネルギー・スポット(パワー・スポット)という、特にエネルギーの高い場所があります。

そのような場所には社寺などの宗教施設が古くから建てられていたり、人の多く集まる都市や観光地などがあったりします。これらの点は互いに連結し合い、バランスをとりながらこの惑星を維持しているといわれています。

 

高野山もその点の中のひとつに間違いはないでしょう。百以上もの塔頭が並ぶ山の上(正確には盆地)はひとつの街を形づくっているように見えます。参拝の人々が絶えることがありませんが、弘法大師の御廟のある奥の院は、密教の最高の聖地と言われるほどに何とも言えぬ静けさに包まれ、強い霊気を放っているように感じられます。

 

 

近くして見難きは我が心、細にして空に遍きは我が仏なり。
*
あまりに近いために
かえって見えにくいものは自分の心であり、
微細で目にはみえないけれども、宇宙に偏満しているのは
自分の心中の仏である。
– 弘法大師空海「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」巻下「第九極無自性住心」 –

 

 

 

希望という灯

 

 

 

意のままに姿を変えて人々の前に現れて救済をするといわれる観世音菩薩。そのような人物と実際に出逢い、助けられたり、慰めや勇気を与えられたりした人々の話を集めています。

何度も繰り返して読んで、その内容を細かなところまで覚えているのですが、その物語を読むたびに新たに感動するのはどうしてなのかを考えました。

おそらく、私たちがいつも誰かに見守られていて、本当に困ったときには援助の手が差しのべられる、という希望をもつことができるからなのかもしれません。

 

 

 

比叡山

 

 

雪の山中をほとんど裸に近い格好で飛ぶように移動する行者の姿が、ヒマラヤなどをトレッキングする人たちに目撃されることがあります。彼は決して空を飛んだり水の上を歩いたりするために修行をしているのではありません。修行者は、それぞれの役割をもって行をされているのだそうですが、その恩恵によりこの世界の平和やエネルギーの秩序が保たれているともいいます。

呪法を自在に扱ったという役小角(えんのおづぬ)など、わが国にも山の中で暮らし、行に生きた人々が多数いたことは想像することができます。

都からほど近い比叡の山もそのような場所であったかもしれません。伽藍が整えられ、参拝の人や車が出入りする寺領にも連綿と続く行のための場所が点在します。そうした行は、国家の鎮護や安寧のためになされると聞きます。行場でもある常行堂と法華堂、そして宗祖最澄の廟のある浄土院は、比叡山の中でも特にその場所だけが別次元の清浄な空気をもった聖域のように感じられます。

 

 

 

一隅を照らす、此れ則ち国の宝なり。
–  最澄「山家学生式(さんげがくしょうしき)」-

 

 

 

1 2 3 4 13