物心一如

7月 31st, 2022

 

 

 

 

感性の豊かな人の多くはすべてのものに命があり、心があると思っています。それは経験からそのように確信をしているのです。動植物はもちろんのこと、石や岩、鉱物などにも固有のエネルギーが備わっていることを感じています。

機械や道具類も丁寧に手入れをして大切に扱っていると、よい仕事をしてくれることも経験からわかります。それでは物にも意識があるのでしょうか。それについては次のような話を聞いたことがあります。

 

砂漠のなかを車で移動していて燃料が尽きてしまい、行き交う車もない場所で困り果てていたとき、運転手は車に向かって「お願いだから次の街まで走ってください」と声をかけたところ、燃料が空にもかかわらず車のエンジンがかかり、街まで動いたという話です。

 

昨今、AI(人工知脳)には意識があるのかどうかという話題に接し、そのようなことを思い出しました。

 

 

 

 

 

一生を終えるときに

6月 25th, 2022

 

 

 

 

一生を終えてのちに残るのは、
われわれが集めたものではなくて、
われわれが与えたものである。
-Gérard Chaudry-

 

人は何のために、そして誰のために生まれ、生きて死んでゆくのでしょう。だれもが一度は考えたことがあるのではないかと思います。自分の望みどおりに生きて人生を終えることのできる人は幸いです。

この言葉は三浦綾子氏の小説のなかで繰り返し引用されていて、ひとつのテーマにもなっています。このことばと出逢った同じ頃に、たまたま観た映画で、ある修道院の院長が映画の終わりに同じことを話していました。

シンクロニシティということを強く思った経験です。

 

人生はあっという間に終わってしまうので
人は個人的な楽しみのために集めたものに関わらず
死ぬときには何もできません
しかし他の人に何かを与えたという遺産を残します
-「The Good Struggle」より-

 

 

 

 

本と人と

4月 3rd, 2022

 

 

 

 

この頃は音楽や書物は電子データで聴いたり読んだりすることが多くなりました。ひと昔前は、音楽はレコード盤を回して針を落とし、溝に付いた傷の雑音とともに聴いたものです。

書物も、本棚に並んだ背表紙を眺め、本を取り出して頁を開いて文字を読みました。手に取ったときの重さや紙の硬さ、柔らかさ、匂いまでがその本の一部分になっていて、本を読むということは、そのすべてを味わうことだったように思います。

もう少し身体全体の感覚を使って、多少の不便さが残っても人生を豊かにしてくれるものを大切にしてもよいのではないかと思っています。

 

 

 

 

 

 

冬雪さえて

2月 24th, 2022

 

 

 

 

 

仕事場にしている民家は丹後地方の標高の高い谷筋にあり、冬になると平地よりも雪がたくさん積もります。10年に一度くらいは大雪になって家のまわりは雪の山に覆われてしまいます。

ここに移住してきた頃はまだ若かったので、風呂や暖房には薪を使い、トイレの肥は畑に撒き、その畑もすべて手作業で耕していました。
今では風呂も暖房も灯油になり楽になりましたが、冬の除雪作業には苦労しています。

それでも、雪の山里はとても静かでなかなかよいものです。

 
 

春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえてすずしかりけり(道元)

 

 

 

心で

12月 25th, 2021

 

 

 

 

 

 

欧州に住むクラシック音楽の世界に詳しい方の話によると、本当に素晴らしい演奏をする音楽家は、有名な音楽家にも付かず、コンクールなどの賞にも縁のない、無名な人が多いのだそうです。私たちが素晴らしいと思っている演奏家は、実はそのように思い込まされているのです。

おそらく、もっとも高い境地を実現した人々とは、伝記に残っている偉い僧侶や本をたくさん残した大学者ではなく、一人で山へ籠って、誰にも知られることなく生きた無名の人びとなのでしょう。
世の中の風評に惑わされることなく、本当のものを見定める力量をもつことはとても大切である、というお話です。
 
 

ものごとは心で見なくてはよく見えない。
ほんとうにたいせつなことは、目に見えない。

-サン=テグジュペリ『星の王子さま』-