Archive for the ‘art’ Category

釈迦苦行像

8月 22nd, 2021

 

 

 

冬になると2メートルを超える雪の積もる山の里にその方の住まいがありました。白い外壁に大きく描かれた虹の絵が印象に残っています。

インドの地で修行の道に入り、その後は生涯のテーマとしてお釈迦様の苦行される像を彫り続けてこられました。

大きなお仕事を終えられたのでしょうか、長い旅路に出られたことを聞きました。ここに改めてその軌跡を讃え、敬愛の意を捧げたいと思います。

 

 

 

 

涅槃像

7月 18th, 2021

 

 

 

丹後半島の山合いの集落に松源寺という小さな禅寺があります。昭和の初めに、この寺のすぐ向かいで火事があり、たくさんの火の粉が寺に降りかかりました。

そのとき寺を延焼から守ったのが大きく枝を広げた楠の古木でした。火の粉をたくさん浴びて焼け焦げたその楠は、後になって伐採されましたが、この楠を使い、地元の彫刻家に頼んで釈迦の涅槃像が造られました。いくつかのご縁により、その像の彩色をさせていただきました。

像の胎内には「世界平和」「自燈明・法燈明」の願文が納められています。

 

 

 

 

 

 

大観のことば

10月 8th, 2020

 

 

 

 

様々な方法で自己を表現する人は、いつも自分自身を顧みなければならないと思います。

 

富士の名画というものは、昔からあまりない。それは、形ばかり写すからだ。富士を描くということは、富士に写る自分の心を描くということだ。心とは、畢竟、人格にほかならぬ。それはまた、気品であり、気迫である。

富士を描くということは、つまり、己を描くということである。己が貧しければ、そこに描かれた富士も貧しい。富士を描くには、理想をもって描かなければならぬ。私の富士も、けっして名画とは思わぬが、しかし、描く限り、全身全霊を打ち込んで描いている。

富士の美しさは、季節も時間も選ばぬ。春夏秋冬、朝晩、富士は、その時々で姿を変えるが、いついかなる時でも、美しい。それは、無窮の姿だからだ。私の芸術も、その、無窮を追う。

-横山大観「私の富士観」 朝日新聞・昭和29年5月6日より-

 

 

 

 

全身全霊で

1月 26th, 2020

 

 

 

 

横山大観の制作にまつわるエピソードの中で特に印象に残る話があります。

第一回帝展に出品された六曲一双の龍を描いた屏風を制作する際に、屏風の一折を1枚と数えて、完成までに90枚を書き直したという話です。大観はこの展覧会には特別な思いを持っていたのでしょうか、一切の妥協を許さなかった姿勢が伺えます。

偉大な先人に倣い、作品にはどのような小さな仕事でも常に全身全霊で心血を注ぐという心構えで臨みたいと思います。

 

 

 

 

数学のはなし

9月 8th, 2019

 

 

 

 

数学の専門家によると、数学の公理などは人間が考え出したものではなく、すべて隠されていたものを「発見」したものなのだそうです。

芸術家が想像力や霊感によって宇宙の中に暗黙の秩序を見出し、それを音や形にすることとよく似ています。優れた数学者が共通して持っているものは、謙虚さと特別の美意識、そして精神性です。

数学と芸術はそれほど離れてはいないかもしれません。数学者はみな、数学は圧倒的に美しいと言い切っています。

 

 

 

数学者は詩人でなくてはなりません

-ソーニャ・コワレフスカヤ-