至高の美


 

道の道(い)う可(べ)きは、常の道に非ず。

– 老子 第1章 –

 

 

宇宙はひとつのものであり、それを言葉によって表わそうとすると、言葉で表わされたものとそれ以外のものに分けられてしまいます。老子はまた次の第2章で、美という観念から醜というものが生じてくると述べています。それでは美とは何でしょうか。美しさの評価には、時代や場所によって移り変わる相対的な側面がありますが、究極的な、純粋な美というものはそのような評価とは関係なく存在するのではないかと思います。

 

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まず第一に、それは常住に在るもの、生ずることもなく、滅することもなく、増すこともなく、減ずることもなく、次には、一方から見れば美しく、他方から見れば醜いというものでもなく、(中略)またある者には美しく見え他の者には醜く見えるというように、ここで美しくそこで醜いというものでもない。

– プラトン「饗宴」 久保勉 訳 より-

 

 

 

そのような究極の美は、おそらく真実の体験と同じく自らの共感する力によって直感的に体験されるものではないでしょうか。そしてその美とは、あらゆる要素を含みながらただ純粋であり、いかなる情緒や理念をも超えて静かに偏在するものではないかと思います。

 

 

 

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愛と美を分かつことはできない。
愛がなければ何の美もなく、両者は不可分に結び合っている。

– J・クリシュナムルティ –

 

 

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