月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり
– 松尾芭蕉「奥の細道」-
「奥の細道」については様々な見方がありますが、万葉集や古今集などの古典に詠まれた歌枕を訪ねる旅であり、或いは芭蕉の尊敬し慕う西行の足跡を辿る巡礼の旅であったともいわれます。その西行も空海を慕い、四国の巡礼をしたり、空海の修行地に庵を結んだりしました。奥州へはその生涯に二度足を運んでいます。
巡礼は、聖地を巡る旅に限定されず、この惑星が季節を変えながら太陽を巡ることも、私たちが生死を繰り返しながら続ける旅もそのなかに含まれるのではないでしょうか。すべての旅は巡礼と見ることもできます。
そしてその巡礼の途上では、一つだけ確かなことがあります。それは必要なものすべてが与えられるということです。不条理なことに出逢い、行く手を塞がれているかのようにみえることも、それが天からの恩寵と受けとめて前に進んでいくことができるのではないかと思うのです。