高山辰雄の大規模な回顧展が作家ゆかりの場所で開かれました。作品には制作にまつわる逸話が添えられていて、その中に心に残る言葉がありました。

 

制作中の画面にどうしても井戸を入れたくなり、スケッチにも下図にもなかったポンプ式の井戸を描いたそうです。後日、その絵を取材した場所を訪ねる機会があり道を歩いていたとき、何かに呼びよせられるように道の脇に入ると、そこには井戸ではありませんが水の湧き出る泉がありました。

人と自然とがひとつであると語る作者の体験です。

 

 

その人

 

ある禅の老師によると、畳の上を歩く音を聴くだけでその弟子の修行の進み具合がわかるといいます。日常の立居振舞いの中にその人のすべてが表れるのだそうです。とくに絵画や造形として表現されるものには、その作者の本質的なものが隠されることなく顕れ出てしまいます。

 

作品や表現の質を高めていくためには、技倆を研鑽するのと同時にそこに現れる品性・品格というものを磨かなければならないということでしょう。横山大観は創造について次のように述べています。

 

 

 

人間ができてはじめて絵ができる。
それには人物の養成ということが第一で、
まず人間をつくらなければなりません。
-「大観画談」-

 

 

人生は美しいか

 

夜空の星を見渡すように銀河の中の太陽系・地球を俯瞰する….そこに苦しみながらも多くの魂が光に向かって懸命に生きる姿を想う。喜び・悲しみ・希望・絶望・・あらゆる色彩を含んだ美しさがその中にはあるように思います。

 

<生きることは苦である>という仏陀のことばは真実であると思いますが、それでもなお<人生は美しい>と思いながらこの苦しい道を歩んでいくことができれば幸いです。

 

 

 

Life is beauty, admire it.
– Mother Teresa –

 

 

 

制作と祈り

 

 
 

自分をわすれ

無心になって

筆をとること

 

そのすべての業を

宇宙の父と母に

捧げます

 

 

闇と光

 

 

深い井戸の底から上を見ると、昼間でも空に輝く星を見ることができるのだそうです。微かな光を発見するためには、闇という環境が必要になるのでしょうか。

 

「人は闇の中に長くいると、小さな光の尊さに巡り会える」とある音楽家が語っていました。その小さな光とは人々が見過ごしてしまいがちな、日常にある小さな喜びや、当たり前の、しかしとても尊いことなのです。

 

 

一隅を照らす


 

絵画や彫刻の修復の仕事に長く携わってきましたが、一職人の送り出した仕事の数はそれほど多くはありませんし、それがどのような役に立っているのかもわかりません。中にはほとんど人の目に触れることもないようなものもあります。

しかしながら、この世界はそのような人々の小さな光の支え合いで成り立っているのではないかと思います。

小さなともしびによってそれぞれの足元を照らす。その集まりで世界は照らされているのだと信じています。