この花がひらくと、掌を合わせたくなります。
心が清められる思いがします。
この花がひらくと、掌を合わせたくなります。
心が清められる思いがします。
日本の弓は竹を主な材料にして作られていて、大変美しい形をしていますが、気候などの影響を受けやすく、取り扱いが難しいとされています。しかもそのまま握って引いても、矢は真っ直ぐには飛ばず、握り方にも工夫が必要です。
弓道という武道でも、的に当てればよいというのではなく、心のあり方が大切にされています。昔の中国の官吏の採用試験では、受審者に弓を引かせてその人物の人となりを調べたそうです。
弓聖と謳われた阿波研造は、弓を学ぶことは自分自身を学ぶことであると言いました。それは、自分を忘れることである、と。
数学の専門家によると、数学の公理などは人間が考え出したものではなく、すべて隠されていたものを「発見」したものなのだそうです。
芸術家が想像力や霊感によって宇宙の中に暗黙の秩序を見出し、それを音や形にすることとよく似ています。優れた数学者が共通して持っているものは、謙虚さと特別の美意識、そして精神性です。
数学と芸術はそれほど離れてはいないかもしれません。数学者はみな、数学は圧倒的に美しいと言い切っています。
数学者は詩人でなくてはなりません
-ソーニャ・コワレフスカヤ-
様々な理由で保護された犬の里親になり、共に暮らすようになって20年になります。今は三代目の世話をしています。
生い立ちには複雑な事情もあり、初めのうちは手こずることが多いのですが、じきに慣れて我が家の一員として溶け込んでしまいます。
「世話をする」と書きましたが、実際にはこちらがたくさんの恩恵を受けています。彼らが存在するだけでその空間が豊かになり、注いだ愛情は何倍にもなって返ってくるからです。
私たちは溢れるようなたくさんの情報の中で生きていますが、本当に大切な情報を見つけることはなかなか難しいものです。
例えば、別々の人から同じ本を勧められること。ある映画のなかで語られた同じ言葉をその翌日に新聞の中に見つけること。
このようなシンクロニシティ(共時性)はとても解りやすいのですが、大切なものは周りの、あらゆる物事に隠れていると思います。賢者は子供からも学ぶと言われますが、大切なものを見出すための心得とはひとつに謙虚な姿勢にあるように思います。
そうすると、砂粒のなかに輝く宝石を見つけることができます。
職人技とよく言われるように、職人の仕事を評価するのにその技術力に注目が集まります。
そのような話を師匠としていたときに、師はこう言いました。第一は誠実さ、第二に品格、技術は三番目である、と。
清澄な心で形を造り、そこに品位が備わって初めて美が顕れるということなのではないかと思います。