桜の花には何か不思議な力が宿っているようです。花の季節になると何となく落ち着かなくなるのはその力がはたらいているからでしょうか。人びとが花見に出かけたり、敷物を敷いて宴をひらく気持がよくわかります。
西行が京の西に庵をかまえていたころ、春になると大勢の人が花見に訪ねてくるので嘆いていると、老桜の精があらわれて、「花はただ咲くだけのものです。花には咎はありませんよ」と諭したそうです。
桜の花には何か不思議な力が宿っているようです。花の季節になると何となく落ち着かなくなるのはその力がはたらいているからでしょうか。人びとが花見に出かけたり、敷物を敷いて宴をひらく気持がよくわかります。
西行が京の西に庵をかまえていたころ、春になると大勢の人が花見に訪ねてくるので嘆いていると、老桜の精があらわれて、「花はただ咲くだけのものです。花には咎はありませんよ」と諭したそうです。
皇室にゆかりのある高野御室と呼ばれる寺を訪ねました。高野山の中でも最も北に位置していて、境内の静けさや清らかさが印象に残りました。快慶晩年の作といわれる阿弥陀三尊像が安置されています。
住職の話によると、弘法大師空海は弥勒菩薩が降臨するまでの間、衆生の救済の誓願をたて、今でも奥の院に坐しておられるのだそうです。その話を聞き、空海と弥勒との深いつながりを知ることができました。
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虚空尽き、衆生尽き、
涅槃尽きなば、我が願いも尽きん。
『性霊集補闕鈔』 巻第八 「高野山万燈会願文」
嘘が良くないことは子供でも分かることですが、その本当の理由を知る人は多くありません。
嘘をつくことは自分と相手を同時に欺くことであり、思いと話す言葉と行いが真っ直ぐにつながらないので、思うことが実現できなかったり、話す言葉が相手の心まで届かなかったりするからです。そしてそのような状態にあると物事の判断を誤ったり、逆に人に騙されたりしてしまいます。
生きていく上でいつも真実を語ることは簡単なことではありません。時には命を落とすことがあるかもしれません。それでもその勇気を持ち続けたいと思っています。何故なら、人の真価は実績や名声ではなく、誠実さや謙虚さにあると思うからです。
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Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you
– William Martin Joel –
私たちは戦争や大きな災害で犠牲になった人々の慰霊のために、特定の日時に黙祷を捧げています。そのような祈りの力は目には見えませんが、世界の隅々まで届いてはたらいていることを信じています。
思いの持つ力について、19世紀のインドに生きた聖ラーマクリシュナは次のような言葉を残しています。
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思想の持つ力を理解しているものは数少ない。もしある人が洞穴に入って閉じこもり、そして真に偉大な思想を考えだした後、そこで死んだとする。しかし、その思想は洞穴の壁から滲み出し、空間を振動し、遂には全人類に充満するだろう。思想の力とはこういうものだ。
– 「インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯」 より-
空気のように当たり前にあったものがなくなったときに、その存在の大切さがわかるように、この一年の間に私たちは多くの大切な物事に気づかされました。自由に地球上を行き来できた日々が夢のようです。
私たちは今、等しく一つの試練に向かい合っています。みなが地球という家に住む一つの家族、兄弟姉妹として力を合わせてこの難題を乗り越えていくことができるように祈ります。
昔から農業に携わる人は、田畑を起こし種をまく時節を判断するために、山川草木、自然の姿にあらわれる徴(しるし)を目安にしてきました。祖先から言い伝えられてきたことが、自身の体験によって確かなものであることを知っているからです。
新しいことを学んだり発見したりしようとする場合はどうなのでしょうか。その昔、天動説が定説であった頃、動いているのは地球のほうであると口にすることは大変な勇気と覚悟が必要だった時代がありました。みながそう言うからといって、それが真実であるとは限らないのです。
真実を見出すためには、透明な心と冷静な理性、そして最終的には直観が大切なのではないかと思います。
昨今のニュース・メディアの流す報道に接して思うこと。