聖山に祈る

 

 

巡礼のためにギリシャを訪ねました。聖山アトスをいただく半島には大小の修道院が点在しています。

巡礼者はそこに宿を借り、修道士とともに祈りの儀式に加わります。そしてその中で授かった恵みをそれぞれの国に持ち帰り、皆と分かち合うのです。

この聖域では1000年もの間変わることなく、この営みが続けられてきました。

 

 

節分

 

 

旧暦では新しい月の始まりを「節入り」と言うのだそうです。旧暦の1月1日が新暦の2月の初めになることから、この前後を節分、立春と呼ぶようになったということを聞きました。

節分には煎った豆をまいて鬼を追い払う行事が行われていますが、天地のあらゆるものの中に神を見出して大切に思う日本古来の信仰のあり方からすると、ひとつのものだけを排除する考え方は馴染まないように思います。

吉凶をともに受け容れて、新しい年を迎えることのできることに感謝をしたいと思います。

 

 

冬の日

 

 

庭の片隅で蝋梅(ろうばい)がひっそりと花を咲かせています。

そばに寄ると芳香を放っているのがわかりますが、特別に自己主張をすることもなく、身の程をよくわきまえていて、その慎ましく謙虚な佇まいはおおいに見習うところがあります。

 

 

 

だれでも高ぶる者は低くされ、
へりくだる者は高められる。

– ルカによる福音書18-14 –

 

 

奇跡を想う

 

 

悲しいことですが、この世界には平穏な日常を持たない場所や人々がたくさんあります。平穏な日常も小さな出来事がきっかけとなって、簡単に壊れたり失われたりするものです。

あたりまえのように過ぎてゆくささやかな幸せというのは、考えてみると一つひとつの奇跡の連続の上にあるように思えます。

有り難いという言葉、感謝という気持をいつも想いながら皆が日々を過ごしていくことができるようにと願っています。

 

 

夢の風景

 

 

この世界は、私たちの心のあり方がそのままに映し出されているといわれます。宇宙がどのように認識されるのかは、私たちの心が決定します。

願わくば、透明な心で、美しい世界を映していきたいものです。

世の中は夢かうつつかうつつとも夢ともしらず有りてなければ

– よみ人しらず(古今和歌集)-

 

 

 

すべて幸なり

 

 

いつもこのように思うことのできる幸せ。

100年前に発刊された詩集から。

 

 

 

 

 

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