闇と光

 

 

深い井戸の底から上を見ると、昼間でも空に輝く星を見ることができるのだそうです。微かな光を発見するためには、闇という環境が必要になるのでしょうか。

 

「人は闇の中に長くいると、小さな光の尊さに巡り会える」とある音楽家が語っていました。その小さな光とは人々が見過ごしてしまいがちな、日常にある小さな喜びや、当たり前の、しかしとても尊いことなのです。

 

 

祈る人

 

 

人里からはなれた場所で日々を祈りと黙想に身を捧げる・・・おそらくは、その献身と奉仕の一生を誰にも知られることなく終える人々がいます。

このような人々がそこに存在して、私たちの寄せる思いが彼らと共有されることに、おおきな安心を感じずにはいられません。

沈黙とは、また祈りとは本当には大変な力をもつ言葉ではないかと思うのです。そして世界の均衡は、そのような力で保たれているのかもしれません。

 

 

Silence is God’s first language.

– St John of the Cross (1542-1591) –

 

 

 

よあけ

 

空が少しずつ明るくなりはじめ、新しい一日の生まれる時。静かな、澄んだ空気のなかに心を合わせると、魂が空全体に拡がっていくようです。

今日一日の無事と世界の平和を祈ります。

 

やさしさ
謙遜な心
すなおな信仰
それは浅くても尊い

– 八木重吉 –

 

 

平和な心で

 

この頃、大きな街を歩いて気になることは、公園などに置かれているベンチに仕切りや細工がされていて、そこで横になったり長い時間座ったりしにくくなっているのではないかということです。

先日、広島を訪ねました。街は緑がゆたかで休むことのできる椅子やベンチがいくつも設置されていましたが、そのような細工がされていないのに気づき、それが自然であたりまえのことであるのに、その優しさに心が温まりました。

 

平和な社会をつくるというのは、一人ひとりの中に、人を思いやるあたたかな心を持つことが大切なのではないかと改めて思うのです。

 

 

心をこめて

 

書道家が渾身の気力を込めて書いた作品の文字を電子顕微鏡で調べると、墨の粒子が同じ方向に整列しているのがわかるそうです。制作時の心のあり方が作品に表れるのでしょうか。

日々の生活の中でも、どのような心で過ごしているか、その延長線上に仕事の結果があるのではないかと思います。

 

「製作は密室の祈り」と書いた村上華岳は、同じ著書の中で「神を相手にせよ、汝のすべての業を 神の前に捧げよ」と語っています。
大変畏れ多いことですが、人生の残りの時間をこのような心で…と思っています。

 

 

新しい緑

 

新しい春、若葉の美しい季節になりました。この樹々の緑は眼にとても優しく映り、身も心も癒される思いがします。

さて、このノートも新たに始めようと思います。ちょっとした手違いで今までの記事のデータを失ってしまいました。大切なものを失くして気づくことがありますが、ものごとに執着してはいけないということもそのひとつでしょうか。

あまりものを持ちすぎるのもよくありませんね。仕事や暮らしのなかで気づいたことなどを書き記していきたいと思います。