空が少しずつ明るくなりはじめ、新しい一日の生まれる時。静かな、澄んだ空気のなかに心を合わせると、魂が空全体に拡がっていくようです。
今日一日の無事と世界の平和を祈ります。
*
やさしさ
謙遜な心
すなおな信仰
それは浅くても尊い
– 八木重吉 –
空が少しずつ明るくなりはじめ、新しい一日の生まれる時。静かな、澄んだ空気のなかに心を合わせると、魂が空全体に拡がっていくようです。
今日一日の無事と世界の平和を祈ります。
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やさしさ
謙遜な心
すなおな信仰
それは浅くても尊い
– 八木重吉 –
この頃、大きな街を歩いて気になることは、公園などに置かれているベンチに仕切りや細工がされていて、そこで横になったり長い時間座ったりしにくくなっているのではないかということです。
先日、広島を訪ねました。街は緑がゆたかで休むことのできる椅子やベンチがいくつも設置されていましたが、そのような細工がされていないのに気づき、それが自然であたりまえのことであるのに、その優しさに心が温まりました。
平和な社会をつくるというのは、一人ひとりの中に、人を思いやるあたたかな心を持つことが大切なのではないかと改めて思うのです。
書道家が渾身の気力を込めて書いた作品の文字を電子顕微鏡で調べると、墨の粒子が同じ方向に整列しているのがわかるそうです。制作時の心のあり方が作品に表れるのでしょうか。
日々の生活の中でも、どのような心で過ごしているか、その延長線上に仕事の結果があるのではないかと思います。
「製作は密室の祈り」と書いた村上華岳は、同じ著書の中で「神を相手にせよ、汝のすべての業を 神の前に捧げよ」と語っています。
大変畏れ多いことですが、人生の残りの時間をこのような心で…と思っています。
新しい春、若葉の美しい季節になりました。この樹々の緑は眼にとても優しく映り、身も心も癒される思いがします。
さて、このノートも新たに始めようと思います。ちょっとした手違いで今までの記事のデータを失ってしまいました。大切なものを失くして気づくことがありますが、ものごとに執着してはいけないということもそのひとつでしょうか。
あまりものを持ちすぎるのもよくありませんね。仕事や暮らしのなかで気づいたことなどを書き記していきたいと思います。